大阪地方裁判所岸和田支部 昭和23年(ワ)50号 判決
原告 辻勝己
被告 西上吉太郎
一、主 文
被告は原告に対し、
大阪府泉北郡信太村大字舞三十七番地上
家屋番号同所第六番の二
一、木造瓦葺平家建居宅 一棟
建坪三十二坪八合八勺
附属建物
一、木造瓦葺平家建物置 一棟
建坪二十八坪七合九勺
の建物につき、昭和二十三年四月二十八日附譲渡を原因とする所有権移転登記手続をし、且つ、該建物から退去してこれを引渡すこと。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は原告に於て金二十万円の担保を供するときは、建物引渡の部分に限り仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決並に建物引渡の部分について仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は織物業を営むものであり、被告は綿糸のブローカーをしていたものであるが、被告は昭和二十三年三月十五日原告に対し綿糸の買付斡旋方を申入れたので、原告は前渡金として金五十万円を被告に交付したところが、その後被告は真実履行の意思がないのにかかわらず綿糸の売買斡旋に名を藉り前渡金名義の下に原告から金五十万円を騙取したものであることが判明した。よつて原告は訴外瀬川賢治を通じて被告に対し被告の右不法行為により原告の蒙つた損害を賠償すべき旨を求めたところ、被告は当時他の犯罪容疑で司直の取調を受けていたような事情もあつたので、同年四月二十八日原告に対し損害賠償として金五十万円の支払義務のあることを認め、原告との間に右債務を目的とし弁済期を三箇月後とする準消費貸借契約成立し、且つ被告はその担保として被告所有の前示建物の所有権を原告に譲渡し、若し被告に於て右元利金を弁済期迄に完済したときは右所有権を被告に回復すべく、又右支払がないときは原告は内外共に右所有権を取得する旨の合意が成立した。然るに、被告は右弁済期に至るも前示金員の支払をしなかつたので、被告は最早右建物所有権の回復請求権を喪失し、原告は完全にその所有権を取得したが、被告は今日迄その所有権移転登記手続をしないし、又その引渡をもしない。よつて、被告に対し右建物の所有権移転登記手続及びその引渡を求めるため本訴に及んだ次第であると陳述し、被告の抗弁に対し、原告の被告に対する金五十万円の交付は、前述のように、被告が綿糸の売買に藉口して原告を欺罔して騙取したものであるから所謂不法原因給付とはならない。又仮にこれが不法原因給付になるとしても、原告はその給付自体を求めるものではなく、右不法行為に基く損害賠償債務の支払を目的として成立した金五十万円の準消費貸借の譲渡担保として提供を受けた前示建物の所有権移転登記手続等を求めるものであるから、本訴請求は許容さるべきである旨附陳した。<立証省略>
被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、答弁として、原告が織物業を営み被告が綿糸のブローカーをしていること、被告が原告主張の日に原告から綿糸の代金として金五十万円の交付を受けたこと、昭和二十三年四月二十八日原被告間に原告主張のような金五十万円の支払を目的とする準消費貸借契約が成立し、被告が右担保として原告に対し被告所有の前示建物を原告主張のような条件の下に譲渡したことは、これを認めるが、爾余の事実はこれを争う。被告が原告から金五十万円の交付を受けた事情は次の通りである。即ち、被告は昭和二十三年三月中旬頃原告から綿糸の入手方を依頼され、当時原告は被告に金百万円を預けるからなるべく多量に引渡されたいとのことであつたが、被告は多量入手の見込がなかつたので一梱分として金三十八万円丈受取る旨申入ると、原告は自ら金五十万円丈交付して置くとて強いて金五十万円を被告に交付したものである。右のように被告は当初から原告を欺罔して金員を騙取する意思は全然なかつたものである。而して、当時綿糸は臨時物資需給調整法に基く指定生産資材割当規則によつて割当公文書の授受がなければ譲り渡し、又は譲り受けができなかつたし、一方物価統制令により所定統制額を超える価格での取引が禁止されていたが、本件取引は右両法令に違反するものであつたから、右取引の前渡金として交付された金五十万円は所謂不法原因給付であつて、この返還を求めることができないことは民法第七百八条の規定によつて明かであり、従つてこの返還を目的とする準消費貸借に改めることは法の禁止を達成せんとするものに外ならないから、これに基く本訴請求は失当である。又仮に右抗弁が理由のないものであるとしても、前示準消費貸借契約は原告の詐欺、強迫による意思表示に基くものである。即ち、被告は原告に対する綿糸の引渡義務を履行することが困難であつたので貨物車票の掏替による綿糸の窃盗の犯行に着手したが未遂に終りこれがため高石町警察署に留置されるに至つた。その際原告は訴外瀬川賢治を同道して被告に面会を求め、「被告は和歌山地方裁判所から金五十万円の追徴を命ぜられ、被告所有の前示建物も取られてしまうことになる。自分に名義を換えて置けば被告の家族もその侭に住んで居られる。」とか又は「原告と示談にせぬなら金五十万円の詐欺になり被告の不利益になる。」等被告を欺き、且つ強迫して被告を誤信、畏怖させて前示準消費貸借並に建物の譲渡担保による所有権譲渡を承諾させたものである。よつて、被告は茲に該意思表示の取消をするものである。なお、被告は昭和二十三年四月中旬頃原告に対し右金五十万円の一部弁済として、現金八万八千円と六畳敷緞通一枚及び合オーバー一着を合計十万円と見積つて交付したものであると附陳した。<立証省略>
三、理 由
原告が織物業を営み被告が綿糸のブローカーをしていること、被告が昭和二十三年三月十五日原告から綿糸の売買代金として金五十万円の交付を受けたこと、及び原被告間に於て同年四月二十八日金五十万円の支払を目的として弁済期を三箇月後とする準消費貸借が成立し、且つ、被告がその担保として被告所有の前示建物の所有権を原告に譲り渡し、若し元利金を右弁済期迄に完済したときは被告は右建物の所有権を回復すべく、又支払なきときに於ては原告は内外共に右建物の所有権を取得する旨の合意が成立したことは当事者間に争がない。
先ず被告は本件綿糸の売買は臨時物資需給調整法及び物価統制令に違反する取引であつたから、右代金としての金五十万円の交付は所謂不法原因給付に該当し、従つてこの返還を目的として成立した前示準消費貸借に基く請求は許容さるべきものでない旨抗争するので、この点について判断を加える。本件取引当時綿糸類は臨時物資需給調整法に基く指定生産資材割当規則によつて同規則所定の割当公文書と引換えでなければその譲り渡し、又は譲り受けをすることができないばかりでなく、物価統制令により物価庁長官の指定する統制額を超過する価格での売買が禁止されていたことは当裁判所に顕著な事実である。而して、右取引が前示規則所定の割当公文書の授受を伴わず且つ統制額超過価格の取引を企図していたものであることは弁論の全趣旨に徴して明瞭であるから、原告から被告に対する右代金としての金五十万円の交付は明かに所謂不法原因給付に該当するものといわなければならない。原告は右金五十万円は被告の詐欺によつて交付したものであるから不法原因給付と見るべきものでない旨主張するが、原告が織物業者であることは原告の自認するところである以上、原告は本件綿糸の取引が前示法令に違反するばかりでなく、道義上強く非難される行為であることを認識しながら、被告から綿糸を買受けることを約し、その前渡金として金五十万円を交付したものと推認されるから、仮令その間被告の欺罔行為があつたとしても、右は所謂不法原因給付に該当するものというべきである。よつて本件取引について原告が被告の欺罔行為によつて右金を交付したかどうかについて判断する迄もなく、原告の右主張は理由がない。そうだとすると、次に原告の被告に対する右金五十万円の交付が不法原因給付に該当する以上この返還を目的とする本件準消費貸借に基く請求も亦なし得ないものかどうかを考える。抑も、不法原因給付が受益者に対してその給付したものの返還を請求し得ないことは民法第七百八条の明定するところであつて、給付自体の返還を求めるのでなく給付によつて蒙つた損害賠償を求めることも亦同条の律意に徴して許容されないものと解すべきである。併し、同条が不法原因給付者の受益者に対する返還請求を拒否する趣旨は不法な行為をしたものが自らその不法な行為をしたことを主張して法律の保護を求めることができない旨を定めた趣旨であつて、決して受益者を保護しその返還義務を否定したりその義務を免除したりするものでなく、只給付者からの返還請求を認めない反射的効果として受益者は返還請求を拒否することができるにすぎない。従つて、受益者がその利益を自ら返還し給付者がこれを受領することは何等妨げなく民法第七百八条の趣旨に反するものでないと解するのが相当とする。そうすると、原告が被告に対し前示経緯の下にした金五十万円の交付は所謂不法原因給付に該当するから、原告は被告に対しこの返還、仮令それが損害賠償請求としても、これを許すべきではないが、被告が前示のように原告に対し自ら右金五十万円の支払を約し、これを目的として本件準消費貸借が成立し、原告がその担保として本件建物の所有権の譲受け、これに基いてその建物の所有権移転登記手続等を求めるのは固より正当であつて民法第七百八条の趣旨に反するものでないというべきである。
よつて被告の右抗弁は採用できない。
次に被告は前示準消費貸借は原告の詐欺及び強迫による意思表示に基くものである旨抗争するが、被告本人のこの点に関する供述(第一、二回)はこれを信用し難く、他にこれを肯認するに足る証拠がない。却つて、被告本人の供述(第二回)によつて成立を認め得べき甲第三、四号証及び原告本人の供述によれば、被告は綿糸の引渡ができなかつたので、原告に対し前渡金の返還を約し、先ず昭和二十三年三月二十三日原告に対し訴外植本彌一振出名義の額面金八十五万円の株式会社住友銀行鳳支店宛小切手一通を交付した。併し右小切手は不渡となつたので、原告はこれを責めると被告はその際今後支払不能のときは被告所有の前示建物を提供することを約し、なお国鉄阪和線長居駅に到着している綿糸を渡すとて日本通運株式会社長居営業所名義の荷物預り証を交付した。ところが右預り証も亦偽造のものと判明するに至つた。その後被告は貨物車票掏替による綿糸の窃盗容疑で高石町警察署に拘禁されるに至つたが、その際同署の塩入、仲嶋両刑事が原告を訪ねて来て、被告が本件金五十万円の件について原告と示談したい意嚮があることを告げたので原告は早速被告に面会に赴いたところ、被告は本件の示談解決方を希望し自ら前示建物提供方を申入れたので、ここに原告との間に円満裡に前示準消費貸借が成立するに至つたことが認められる。よつて被告の右抗弁も亦採用しない。
而して、前示準消費貸借成立後三箇月を経過しても被告は右金五十万円の弁済をしなかつたことは弁論の全趣旨に徴してこれを認めることができるから、被告は前示建物所有権の回復請求権を喪い、原告は完全にその所有権を取得したものというべきである。被告はなお原告に対し約十万円の内入弁済をした旨主張し、原告本人の供述によれば原告は被告から約十万円の現金及び物品の提供を受けたことが認められるが、同供述によれば右は被告の意思により被告の訴外瀬川賢治及び吉田某に対する債務の支払に充当され、右金五十万円の内入弁済にはならないことが認められ、これに反する被告本人の供述(第二回)は信用することができない。
然らば、被告は原告に対し前示建物につき昭和二十三年四月二十八日附譲渡による所有権移転登記手続をすべき義務があるものというべく、又被告が本件建物の居住占有について原告に対抗し得べき正当の権原を有することは被告に於て何等主張立証しないところであるから、被告は前示建物から退去してこれを原告に引渡すべき義務があることも亦明かである。
よつて原告の本訴請求は全部正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言について同法第百九十六条第一項を適用して、主文の通り判決する。
(裁判官 坪井三郎)